令和3年12月 添え状より

今年もあと1カ月もしないうちに、「2022年」になります。 時間はひとしく皆さまと今年も一緒に『老いる=歳取る』ことができることをうれしく思います。

この『老いる』ことのほんの一端に、今日はふれてみますね。岩手県遠野出身の作家で、2017年に文藝賞を受賞し、翌年に第158回芥川賞も受賞した『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子(河出書房)という小説。岩手県の作家ですし、『おらおらでひとりいぐも』は映画化もされ、お読みになった方も多いのではないかと思います。
小説の始まりが、主人公桃子さん74歳の内面から勝手に湧きあがってくる東北弁の声ではじまります。その声は、息子や娘とは疎遠になり、15年前に夫に先立たれてから、自作のノートを作っては読み、万事に問いかけることを繰り返しているうちに、自身の内側に性別も年齢も不詳の大勢の声を聞くようになった、という話です。
肉体的な衰え、痛みや苦しみと道連れで、私は一体どうなっていくんだろうという「老い」の不安をもって生きていくなかで、大勢の声は桃子さんに賛否の主張をするだけでなく、時にジャズセッションよろしく議論までする始末。その言葉が、捨てた故郷の方言だった、というのです。
捨てた故郷、疎遠になった子供たち、亡き夫への愛。震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いたものは、幸せな狂気でした。

頭の中に〈幸せな狂気〉を抱えて桃子さんは孤独と生き、未知の世界へひとりで行こうとしている訳ですが、日々を重ねなければ得られない感情には、<悲しみがこさえる喜び>もあることを知ります。不安や諦観が先に立つ 「老い」へのイメージが、老いるとは豊穣で楽しくて、待ち遠しいものなのかもしれない、とだんだん変化していきます。ですから、おらの今は、こわいものなし!
「おひとりさまの老後」を迎えた桃子さんは、戦後の日本女性を凝縮した存在ともいえます。宮澤賢治「永訣の朝」にある「Ora Orade Shitori egumo」のフレーズ。ほんとはね、ほんとは「独りがいい」。出会いも歓びだが、死別も解放だ。「頭の中に大勢の人たちがいる」ことは、きっと孤独ではない。

 今年3月、当社の施設「加賀野の森」の平均年齢は、92歳でした。ですか
ら、『おらおらでひとりいぐも』の桃子さんのお年74歳は、まだまだのまだ。
でも、桃子さんの姿は私の母のことだ、私の姿だ、と感じる人が多い気しま
す。なぜなら、頭の中のセッションなんて、日常茶飯事。生きるということ
は、「混濁の葛藤の中にある」と思うからです。 (なんて、いきなり哲学的になってスミマセン。)

 暮れに向かい、お風邪など召しませんよう。今年一年もお世話になり、たいへん感謝申し上げます。
2022年も変わらぬご交誼を賜りますようお願い申し上げます。
           
令和3年12月10日 総施設長 神原 美智子